グローバル化と労働市場を研究する経済学Ph.D.学生のブログ

イェール大学経済学部Ph.D.学生のブログです。研究日誌メイン。ニュースや最新研究の発信も。

Frey and Stutzer (2002)

今日はちょっと趣向を変えて、自分の研究で必要になった論文を紹介。

 

www.jstor.org

 

少し自分の専門について。僕の専門は労働経済学なのですが、今やろうと思っている研究は、労働経済学の根本に関わるものです。労働経済学では、労働供給は効用をもたらす余暇に相対する概念、つまり不効用をもたらす概念として捉えられています。確かに働きすぎはキツい(日本の文脈だと痛いほど分かりますし、過労死などの学ぶべき事例も多いです)のですが、実際には適切な労働は、むしろ社会貢献・自己実現を通して充実感を得られる場合も多いのではないでしょうか。心理学や実験経済学でこれをテストするような研究は多くあり、肯定的な結果を得ているものも多いのですが、経済一般でどのくらい成り立つと言えるのか、センサスなどの大規模サーベイデータから分析してみようという研究をやろうと考えています。

 

そうなってくると、そもそも自己実現とかってどういう概念なんだろうと調べなければいけないわけです。心理学の文献も見ていますが、これらは専門外ということで、経済学のジャーナルに出た論文からまとめと考えを書いていきたいと思います。

 

このペーパーはJournal of Economic Literatureというジャーナルに載っています。普通の経済学論文とは少し趣が異なり、ある分野の大家がその分野について詳細にサーベイを行った論文という形式です。サーベイ対象は、幸福感と他の変数間の関係に関する分野です。ここで経済学らしくて面白いのは、幸福感という変数を使うときに、いかにこれが意味のある変数であるかを、1章を使って議論しているというところです。なぜそこまで詳細な議論が必要なのでしょうか。答えは顕示選好"revealed preference"という概念にあります。

 

経済学では、人々は効用関数を最大化するように行動するとしています。それは今でも大枠は変わらないのですが、1930年代ごろ、大きなパラダイムシフトを迎えます。効用関数は観察できなくても、人々がとった行動から、効用関数に関する全ての情報を引き出すことができるという議論が起こったのです。これ自身は素晴らしい理論的発見で、観察しにくい効用関数ではなく、観察できる行動というデータから、人々の厚生を高めていくための政策が議論できるというようになったのです。これを、人々の選好が行動に顕示されているというニュアンスで、顕示選好と呼びます。これは非常に強力な概念で、それ以降の経済学では、効用値を計測するという試みはほとんど行われず、行動やその結果の産物である価格など、客観的に計測しやすいデータから様々な分析を行うようになっていきました。

 

ただ、今回上で考えているように、実際の行動だけから幸福に関する情報を全て復元するのは難しいという議論も依然としてありました。これらは、感情、目標達成、意味、ステータスなどという、従来の選択ベースの観察からはわからない要素を考慮に入れていった結果です。そこで、これらを分析するために、幸福感を数値的に測るという手法が経済学で取られるようになりました。上記の経済学会の流れがあるので、幸福感に関する計測が科学的に意味のあるものかどうか、という議論が論文内で必要になりました。幸い、心理学の分野でこの研究は多数行われており、主観的幸福感に関する変数の分散には、科学的に意味のあるといえる分散が多く含まれていると分かりました。

 

科学的に意味のある分散とは、以下の意味です。

(1)幸福感に関する複数の指標は、互いによく相関する。

(2)自己評価と他者評価の因子分析は、単一の指標を生成する。

(3)自己幸福感指標は、安定的だが、人生の状況によっては変動する。

(4)指標の良い人は、よく笑い、自殺率が低く、脳波や心拍数と相関が強い。

 

幸福感指標の科学的有用性を議論したのちに、幸福感に影響を与える変数に関する分析を行っています。主な結論は以下の通りです。

(1)一社会の一時点では、所得が高い方が幸福度が高い。

(2)ただし、時間横断的には、経済成長に伴って、幸福度が増すわけではない。

(3)国家横断分析によると、貧しい国の間では、所得が上がると幸福度が上がるが、ある点を越えると正の相関は見られなくなる。

(4)失業と幸福度には負の相関がある。

(5)インフレと幸福度には負の相関がある。

(6)国家の政治・経済・個人的自由と幸福感には正の相関がある。

 

結語としては、新しい変数である幸福度は、既存の理論をテストすることを可能にすることを挙げています。ただ、幸福度は、従来の経済学における効用よりも広い意味を持っているので、幸福度をそのまま統計的検定に使うことが効用をベースとした理論への意味ある挑戦になるかどうかは自明ではありません。この辺は応用に依存するところで、研究者それぞれの腕の見せ所という感じですね。

 

 

で、こんな感じで既存研究をサーベイして、(a)やりたいこと(労働が自己実現につながる可能性を大規模サーベイデータで分析)がまだやられていないこと、(b)でも、上記結論(4)にあるように、自分の仮説と整合的な研究結果は見つかっていること、という二つのポジティブ材料を得るわけでした。(a)(b)は既存研究サーベイの永遠の留意点で、どちらかに偏るとどちらかが失われてしまいます。今回のように上手くいくのはなかなかないので、今回はラッキーでした。

 

また長くなってしまった。もっともっとメインポイントだけバシッという感じで行きたい…